妊娠中の思い出
これより1型糖尿病合併妊娠の〇〇さんのカイザーをはじめます。
と
帝王切開の手術開始時に執刀医が言い放ちました。
なんか、腑に落ちない感じの言葉でモヤモヤしながらお腹切られてました。
なんて言うか、
あ、私、病気なんだって再認識した感じです。
小さい時に発症してるので病気がアイデンティティに組み込まれているんだよな…
だから改めて言われると、ん?と違和感がでる。
自分→病気だけど病気→自分じゃない的な…
んー難しく考えるのやめよっと。。
上の子出産の時は病歴でいうと28年目の時、
妊娠発覚時はHba1c7.6%で
妊娠して良い数値じゃなかったです。
そしてそして、、長年不良患者だったので、私の身体もつのかなぁ…などなど不安要素しかありませんでした。
でも、、やるときゃ無い。
インスリンポンプ導入して色々試行錯誤してH ba1c5.0%〜5.5%位の間までもっていきました。
いや~ポンプすごいですよ
医療費ヤバいけど…
それでも、妊婦健診中、医者から、糖尿だから赤ちゃんやっぱり大きめだよって検診のたびに言われたので赤ちゃんに対して罪悪感でいっぱいになってました。
あとあと考えたら私も旦那も3500g位で生まれているので、遺伝なんじゃないの?と思いますが・・・
ポンプ導入後の初期は主治医にコントロール難しいから
・カレー
・丼もの
・ラーメン
は妊娠中は我慢した方がいいかなって言われ、我慢し、この3つ以外は割と制限なく食べHba1c6%位まで上がった事もありました。
ところが、妊娠後期頃から徐々に色々考えて打つのが億劫になっていきました。カロリーは守っているのに体重も注意され始めていたので・・・・
そこで、
食事固定の開始。それでHba1cの5%代を維持してました。
それまではカーボカウントをしていたのですが、脂とタンパク質に裏切られることがおおかったので、食べる物のうち主に主食とタンパク質のg数を固定しました。
下の子の時もほぼ固定でHba1cは5.0%~5.2%という驚異的な数字を叩き出していました。
…主に食べていたものはBASEBREADっていう最近コンビニでも見かけるパンです。味の好みは別れると思いますが、私は種類が豊富で飽きなかったです。
出産後は見るのも嫌になってしまいましたが・・・
コントロール良くするために食事を固定するという行為は今でもで役立ってます。
妊娠中のように厳格にはやる気も気力もありませんが・・・
で出産時は
促進剤使って37週に誘発分娩でした。
全部で4日間使いました。
4日目はあまりの痛さでストレスホルモン出まくり血糖値353とかまで上がってました。
でもなかなか子宮口が開きません。。
付き添っている旦那は辛そうな私を見て泣き始め
ひたすら痛みに耐え
そしてついにきた。破水・・
でも赤子なかなか降りてこず・・
そうこうしている間に子宮口9センチ到達
なのに、、、
羊水が濁りはじめ、
緊急帝王切開となりました・・・
そんなこんなで上の子は3618gで生まれてきました。
助産師さんに〇〇さん!こんな大きな赤ちゃん!!!って言われたのが印象的でした。
で、喜びに浸る時間もなく、
母体が高血糖になると赤ちゃん自身のインスリンが出てしまうので
赤ちゃんは低血糖状態になってました。
生まれてすぐにブドウ糖の点滴開始・・・
最初の3日間は母子別室。
周りの看護師さんに赤ちゃんは痛みに鈍感だから大丈夫よって励まされたのですが、、罪悪感でいっぱいでした。
生まれたら生まれたでミルクあげすぎると肥満になりやすい等注意され、
助産師さんに言われたミルク量を守ってました。
なのに
1月検診の時に小児科の先生に退院時より体重増えてないからミルク増やして下さいと言われ、
もー訳が分からなくて、
母乳をうまくすえるようになってからは欲しがったら欲しいだけあげちゃってました。
それでも体重の事は健診時に注意された事もなく
5歳の今も母子手帳の成長曲線は標準です。
私がお世話になった総合病院の産婦人科は1型を受け入れたのが初めてとの事でした。
産婦人科と私、、共に初めての事ばかりなので神経質になりすぎていた感がぬぐい切れないです。。
まあ、なんかあったらお互い困りますからね・・・